玄奘三蔵院伽藍

玄奘三蔵(602-664)は中国唐代に活躍した実在の僧侶です。玄奘三蔵は当時の中国に未だ伝来していなかった経典を求めて、27歳のときインドへ求法の旅にでます。インドで修学の末、経論や舍利、仏像を携えて17年に及ぶ旅を終え帰国されました。 帰国後は、持ち帰った経典や論疏657部の中から75部1335巻を翻訳されました。最もよく知られる『般若心経』も玄奘三蔵の翻訳によるものです。 玄奘三蔵の求法の旅の目的は「唯識」の教えを究めることでした。その教えは玄奘三蔵の弟子である慈恩大師により、「法相宗」として大成し、飛鳥時代の道昭僧都などにより日本に伝来しました。現在、法相宗の大本山は薬師寺と興福寺ですが、 今も玄奘三蔵は法相宗の鼻祖(始祖)として仰がれています。
特に、薬師寺では玄奘三蔵の遺徳を後世に伝えるべく、平成3年(1991)に玄奘三蔵院伽藍を建立しました。伽藍中央の玄奘塔には、玄奘三蔵のご頂骨(頭部の遺骨)をお納めしております。 このご頂骨は、昭和17年(1942)に中国南京で発見され、その後、全日本仏教会に分骨されました。埼玉県さいたま市の慈恩寺に奉安されたご頂骨を、玄奘三蔵の遺徳顕彰のため昭和56年(1981)に薬師寺にもご分骨を賜り、 玄奘三蔵院伽藍を建立して安置いたしております。
玄奘塔の正面には故・高田好胤和上の染筆で「不東」の二文字が輝きます。この言葉は、玄奘三蔵の、経典を手に入れるまでは東(中国)へは帰らないという決意を表す言葉です。

玄奘三蔵院伽藍の仏像 玄奘三蔵訳経像 大川逞一 作 平成3年安置

玄奘塔に祀られている玄奘三蔵像は、仏師大川逞一氏によって造像され、平成3年(1991)に安置されました。右手には筆を、左手には貝葉経(インドのお経)を手にしており、天竺からの帰国後、経典の翻訳に尽力される玄奘三蔵の姿を表しています。 少し無骨な印象を与えるほど、たくましいお身体と、引き締まったお顔が特徴です。

玄奘三蔵院伽藍の仏像大唐西域だいとうさいいき壁画 平山郁夫 筆 平成12年安置

平成12年(2000)12月31日、20世紀最後の日に文化勲章受章者 平山郁夫画伯により奉納された7場面13枚、全長49mの大壁画です。玄奘三蔵の旅行記である『大唐西域記』から「大唐西域壁画」と名づけられました。平山画伯が玄奘三蔵の旅した地を実際に訪れ、17年の旅を追体験して描かれたものです。 製作期間は、取材を含めると約20年に及び、スケッチだけで4000枚もの絵を描かれました。