智慧の依り処
管主 加藤朝胤
第247回 令和7年4月21日
画像:お釈迦様初転法輪像 インド・サルナート美術館
ある村人が、「お釈迦様の御心はどのようにして知る事が出来るでしょうか」と尋ねました。するとお釈迦様は、「私の智慧は、限りない智慧として知られるのであり、全ての智慧の拠り処であって、他に依る処がない真理の教えです。例えば、虚空は、万物の依り処の筈ですが、依り処がないようなものです」。
「例えば四大海水(須弥山の四方にある大海の水)は、四天下(須弥山の四方にある南贍部洲 東勝身洲 西牛貨洲 北俱蘆洲の四大陸)と八十億の小さな洲を潤します。もし貴方たちも水を求めるならば、誰でも得られますが、大海は、全てのものに水を与えるという訳ではありません。
各々教えの道によって善根を修めるならば、佛の智慧は、あらゆる人々の心を潤し光明をお示し下さいます。けれども佛は決して、人々に智慧を押し付けるという念を起こす事はありません。
村人よ、貴方達全ての人は、佛の智慧(佛性)を具足しています。佛の智慧は至らないことはありません。それは、全ての人々に平等だからです。
例えば金翅鳥(Ⓢ garuḍa迦楼羅と同一視される神話上の鳥)は、ヴィシュヌ神の乗り物とされ、翅は金色で、広げると三百三十六万里に達し、 須弥山の下層に住して常に口から火炎を吐き、大空を飛び廻り竜王の宮を見下ろして、竜を取って食すると伝えられています。同じように人々は、日常の生活を顛倒に考え、自らの行いが最も正しいと思い込んでいるので、佛の智慧に触れていても理解できないだけなのです。顛倒であることに気が付けば、一切智(完全な智慧を有する佛の事)や相(ありさま)に捉われない智慧や、礙げのない智慧を起こす事でありましょう。佛は安住の行につとめ、止(静止・煩悩を鎮める)と観(智慧を起して正しく見る)の翅で愛欲(執着し間違った望みをいだく)の海水を打ち開き、善根熟(良い果報を齎す善い行い)で煩悩の海から救い出して下さいます。
愚か者は、顛倒の想いに覆われてそれを知らず、見る事も無く、信心を起さないままになってしまっています。
このお話は『大方廣佛華厳経 寶王如来性起品』に登場します。
合 掌
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