ある村人が、「お釈迦様の御心みこころはどのようにして知る事が出来るでしょうか」と尋ねました。するとお釈迦様は、「私の智慧は、限りない智慧として知られるのであり、全ての智慧の拠り処であって、他に依る処がない真理の教えです。例えば、虚空は、万物の依り処の筈ですが、依り処がないようなものです」。
 「例えば四大海水しだいかいすい(須弥山の四方にある大海の水)は、四天下(須弥山の四方にある南贍部洲なんせんぶしゅう 東勝身洲とうしょうしんしゅう 西牛貨洲さいごかしゅう 北俱蘆洲ほっくるしゅうの四大陸)と八十億の小さなしまを潤します。もし貴方たちも水を求めるならば、誰でも得られますが、大海は、全てのものに水を与えるという訳ではありません。
 各々教えの道によって善根を修めるならば、佛の智慧は、あらゆる人々の心を潤し光明をお示し下さいます。けれども佛は決して、人々に智慧を押し付けるというおもいを起こす事はありません。
 村人よ、貴方達全ての人は、佛の智慧(佛性)を具足しています。佛の智慧は至らないことはありません。それは、全ての人々に平等だからです。
 例えば金翅鳥こんじちょう(Ⓢ garuḍa迦楼羅と同一視される神話上の鳥)は、ヴィシュヌ神の乗り物とされ、つばさは金色で、広げると三百三十六万里に達し、 須弥山の下層に住して常に口から火炎を吐き、大空を飛び廻り竜王の宮を見下ろして、竜を取って食すると伝えられています。同じように人々は、日常の生活を顛倒さかしまに考え、自らの行いが最も正しいと思い込んでいるので、佛の智慧に触れていても理解できないだけなのです。顛倒さかしまであることに気が付けば、一切智いっさいち(完全な智慧を有する佛の事)やすがた(ありさま)に捉われない智慧や、さまたげのない智慧を起こす事でありましょう。佛は安住の行につとめ、止(静止・煩悩を鎮める)と観(智慧を起して正しく見る)の翅で愛欲(執着し間違った望みをいだく)の海水を打ち開き、善根熟(良い果報を齎す善い行い)で煩悩の海から救い出して下さいます。
 愚か者は、顛倒の想いに覆われてそれを知らず、見る事も無く、信心を起さないままになってしまっています。
 このお話は『大方廣佛華厳経 寶王如来性起品』に登場します。

合 掌



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