富楼那 求道の心得
管主 加藤朝胤
第246回 令和7年4月14日
画像:十大弟子の内 富楼那像 中村晋也作
十大弟子の一人に富楼那と言うお弟子様がおられました。
雪山(ヒマラヤ山)で修行を重ねていた富楼那は、お釈迦様が成道されたことを聞き、ヴァーラーナシーの鹿野苑でお釈迦様の弟子となりました。十大弟子中では最古参であり、お弟子様の中でも、弁舌に優れていたために説法第一と呼ばれています。
富楼那はお釈迦様に教えを請いました。「独り静かに棲い、放逸(気ままに遊び、等閑となって怠ける事)を離れて勤め励みたいと思います」。お釈迦様は「眼に見える形、耳に聞こえる声、鼻で嗅ぐ香り、舌で味わう味、身に触れる肌触り、全て心地よく意に適い、欲を引き起こすことがあります。もしそれらを喜び好み執着すれば、歓びが起きます。歓びの原因は苦しみでもあります。又それを喜ばず好まず執着しなければ、歓びは起きません。歓びが起こらぬことは苦しみの起らぬことです。富楼那よ、この教えを聞いて何れの国で修行するつもりですか」。「お釈迦様の教えを受けてスナーパランタ国に行こうと考えています。」「富楼那よ、スナーパランタの人々は兇猛しく疎暴しい。もし彼らが汝を罵り辱めたならば、如何しますか」。「私は、スナーパランタの人々は善良であるから、手を挙げて打つ事はないと信じます」。「もし手を挙げて打ったとしたならば、如何しますか」。「スナーパランタの人々は善良であるから、土塊を投げ、棒で打つ事はないと信じます」。「もし土塊を投げ、棒で打ったとしたならば、如何しますか」「スナーパランタの人々は善良であるから、剣をもって打つ事はないと信じます」。「もし剣をもって打ったとしたならば、如何しますか」。「スナーパランタの人々は善良であるから、命を奪う事はないと信じます」。「もし命を奪おうとしたならば、如何しますか」。「今迄であれば、この穢れた身体と命をかばうでしょうが、もしスナーパランタの人々が命を奪う様にしたならば、このなし難い死を得る事が出来ると思います」。お釈迦様は「善き哉、善き哉。富楼那よ、汝はこの自制心と寂静とを具えていて勤め励んでいるので、スナーパランタへ行くがよい」。
許しを得た富楼那は、スナーパランタの人々にお釈迦様の教えを弘め、大勢の信者が生まれました。間もなく富楼那は涅槃の雲に隠れました。
スナーパランタの人々はお釈迦様のもとに赴き、富楼那の死を告げました。富楼那の死を聞いたお釈迦様は、「富楼那は賢者でありました。法を守り私を煩わす事はありませんでした。富楼那こそ実に涅槃と言うに相応しい生涯です」。
このお話は『魔嬈乱経』に登場します。
合 掌
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