般若心経の最初に登場する「観自在菩薩」は、「観自在」と「菩薩」に分ける事が出来ます。「観自在」は、目に見える物だけではなく、目だけでは写し出すことの出来ない心の機微を見ることが自由自在に出来るという意味です。 「観自在」は私たちの苗字と同じ名称を表す固有名詞です。「菩薩」は、お釈迦様の正しい教えを学び、実践している人の事で、一般名詞です。だから皆様もお釈迦様の教えを学び、正しい行いを実践していれば菩薩様です。ご自身の名前の次に菩薩の文字を付けて見て下さい。 例えば鈴木さんであれば鈴木菩薩、田中さんであれば田中菩薩。でも私たちはずっと菩薩でいられません。直ぐに迷いを起してあっちへ有漏有漏うろうろ、こっちへ有漏有漏うろうろしています。お釈迦様の正しい教えもたまにしか実践していません。だから、たまにしか菩薩にはなれません。 正しい教えを実践している時を「瞬間菩薩」と呼んでいますが、瞬間でも菩薩にならないよりましです。
 前回も述べたように、煩悩を繰り返し続け迷ってばかりいるので、いつまで経っても心がスッキリと晴れないままなのです。人間である以上迷いはなかなか消すことができません。煩悩を無い無いと否定するのではなく、それを乗り越えたところに素晴らしい世界が広がります。
 般若心経の最後の偈が「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆呵」です。意味は、「行こう 行こう さあ行こう さあ皆で手に手を取り合って 清らかな幸せの世界に向かって 一緒に行きましょう」という意味です。
物質は、分ければ分ける程小さくなります。苦しみや悲しみは、分ければ分ける程軽くなります。喜びや楽しみは、分ければ分ける程大きく広がります。私たちは苦しみや悲しみを人に押し付け、喜びや楽しみを独り占めにしようとしています。 何でも皆で分かち合う優しさが大切です。
高田好胤管長さんは、般若心経の心を解り易く短く纏めて下さいました。それが「空の偈」で、「かたよらない心 こだわらない心 とらわれない心 ひろく ひろく もっとひろく これが般若心経 空の心なり」と皆様と一緒に繰り返し御唱和頂いております。

合 掌



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