お釈迦様がお話になった目の見えない亀と穴の空いた木の喩え話です。

 盲亀浮木もうきふぼくとは、大海中に棲む目の見えなくなった老海亀が百年に一度水面に浮き上がってきた時に、大海に漂っている穴の空いた流木に偶然首を突っ込むというお釈迦様がお話しになった喩え話です。
 出会ったり、物事が実現したりすることがきわめて難しいことの喩えで、この出会いとは、人として命をいただく事の困難さ、更にその人がお釈迦様の尊い教えに出会う事の困難さ、人と人の出会いが非常に難しい事の喩えです。

 ある時、お釈迦様が阿難尊者に「人間として命を授かった事をどのように思っているのか」と尋ねられました。すると阿難尊者は「大いなる喜びを感じています」とお答えになります。お釈迦様は「盲亀浮木」の喩えをお話になります。 「例えば大海の底に一匹の目の不自由な亀がいて、その亀が百年に一度、息を吸いに波の上に浮かび上がってくるのだそうだ。ところがその大海に一本の浮木が流れていて、その木の真ん中に穴が一つ空いている。 百年に一度浮かびあがってくるこの亀が、ちょうどこの浮木の穴から頭を出すことがあるだろうか」と尋ねられました。 阿難尊者は「そんなことは、ほとんど不可能で考えられません」と答えると、お釈迦様は「誰もが、あり得ないと思うだろう。しかし、全くないとは言い切れない。人間に生まれるということは、この例えよりも更にあり得ない。とても有難いことなのだ」 と仰っておられます。

 有難いとは滅多にない事で、私たちは決して自分一人で生きているわけではありません。大勢の人々のお世話になっています。日々の生活に喜びと感謝の心を持つ事が大切です。 お釈迦様は盲亀浮木の喩え話で、佛教の基本的真理を説いた「縁起の法」を私たちにお導きくださっています。

このお話は『雑阿含経ぞうあごんきょう』に説かれています。

合 掌



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