十月は神無月ともいわれます。今月は「神佛の習合」と題して、私たちの身近な生活習慣のお話をします。

 【カミの語源 ホトケの語源】
「カミ」の語源で重要なのは、「ミ」であって、「カ」という接頭語がついて「カミ」となったといわれています。霊あるもの、威力あるもの、呪力あるものと考えられています。 何れにしても日本のカミは目に見えない神々、つまりクム(隠れる)とかクマ(見えない処・影)という古語が語形変化してカミとなり、従って何か隠れて見えないという語意を強く持った神秘的存在を「カミ」という言葉で表現しました。 しかも川下に対する川上、水上のカミにも通じて水源や本源のイメージを持ち、また古くは国魂くにたまの神、生魂(いくたま)の神、また生魂(いくむすび)足魂たるむすびの神というようにタマ=霊魂・ムスビ=産霊、 つまり物を生み成す生命霊という意味をも合わせ持っています。また上から下へは上下の関わりではなく水平思考の内と外であって、上下(かみしも)は中心と周辺で要の位置を示すという意味合いを持つ共存の関係です。 上(かみ)は=神にも通じ、本来神はカミと音によってのみ現されていましたが次第に迦微・迦美・可微・可美の表現になり、「神」の文字は後世になって使用されるようになりました。
 本居宣長の『古事記伝』に我が国の神(迦微)を定義して、「すべ迦微かみとは、古御典等いにしへのみふみども に見えたる天地のもろもろの神たちを始めて、其を祀れる社に坐御霊いますみたまをも申し、又人はさらにも云ず、 鳥獣木草のたぐひ海山など、其余何そのほかなににまれ、尋常ならずすぐれたることのありて、可畏かしこき物を迦微とは云なり」とあります。
要するに生活を支える豊かな自然風土に潜む不可視の霊性を指してカミと呼んでいました。カミは見えるわけでもなく、見えないわけでもなく、微妙で美しくあるべきものでなければなりません。 だから日本の神々は、古代ギリシャやローマ・インド・中国の神々のように人間的な肉体や容姿や行動をする「見える神々」ではなく「見えない神々」であり、無限に分割し移動して清浄な事物であれば人にも樹木にも岩にも柱にも霊として憑り付くことができます。 日本特有の神である「しろ」というのは、あくまで神霊が憑依ひょうえした代物しろものであって、それ自体は神体でも神像でもありません。神霊が離れれば唯の物でしかありません。
 ところが六世紀前半欽明朝に伝来したきらびやかな金銅佛は、紛れもなくインド多神教の「権化(アヴァターラ)思想」を担った佛像そのものでありました。つまりそれ以来カミとは別にその荘厳美をもって大和民族の魂を魅了したのは如来・菩薩・明王たちといった 「目に見える神々」の系譜でありました。まして佛教本来の趣旨からすれば、解脱を達成した釈迦如来をはじめ、佛・菩薩像は出家修行者にとって理想の先覚者として観想行の対象者ですから、寧ろありありと目にすべき佛体でなければなりません。 だから原始佛教を継承したスリランカ・タイ・ビルマ等に伝承された南伝佛教はもとより、中国・朝鮮に伝来した北伝佛教も、寺院や道場に安置された佛像はいずれも堂々たる体躯を顕示しています。 日本でも飛鳥大佛や法隆寺の釈迦三尊像・薬師寺の薬師三尊像・東大寺の廬遮那佛などのように本尊や脇侍がむしろ目視の対象となっています。佛教が伝来した当初の神佛の出会いは、一方が「見えざる神々」であったとすれば、 他方は「見える神々」どころか「見るべき神々」「見せる神々」という組み合わせであったといえましょう。   ≪つづく≫

合 掌

※写真は、諸橋轍次 著「大漢和辞典」巻8より



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